2【研究報告】治療薬としての水素、 その臨床応用に向けて

ピッツバーグ大学医学部外科准教授  中尾篤典

はじめに
メディカルガスという概念
水素の化学
水素の治療効果とそのメカニズム
水素の治療手段としての可能性
最近の臨床試験の結果
今後の展開

summary: 近年、水素分子(H2)が虚血再灌流障害をはじめとする種々の疾患モデルに対して有効であることが明らかになり、急速に水素の研究が進んできた。
水素は期待として吸入させるだけでなく、水溶液として経口投与、静脈内投与、あるいは局所投与することによっても効果を発揮し、
多方面で有効性が報告されている。
本稿では、水素に関する最近の研究成果をまとめ、臨床応用への可能性を考察する。
水素はシグナルガス分子としても脚光を浴びつつあり、
参加ストレスシグナルを抑制する可能性をも含めて今後さらなる研究の発展が期待される。

keyward: 水素、抗酸化作用、メディカルガス、シグナルガス分子、臨床試験
 

はじめに

 近年、水素分子が脳虚血に対し治療効果があることが日本医科大学のグループにより始めて報告され、新たな治療法として期待されるようになった。
ここ数年で水素はさまざまな形で多様な疾患モデルに応用され、その治療効果についての研究は急速に進歩している。
水素の効果が科学的に解明される一方で、水素を含む飲料水はすでに市場に多く出回っており、健康商品として販売されているが、
科学的事実に基づく根拠に乏しく、その効果に疑問が残る商品も存在する。
また活性水素水マイナス水素イオン水、還元水、天然水素水など、その用語と定義にも誤解と混乱を招きかねない典が多々見受けられる。
 このように、水素は十分な科学的説明や系統的な解説がなされる前に、
その効果が営利的に利用され始めたため、根拠のないものとして識者の偏見の対象となった。
しかしながら今日では、胴部う実験、臨床研究で共通してみられる水素の効果として、
参加ストレスの現象があり、国際的にも複数の独立した研究施設から報告されており、疑う余地がない事実と思われる。
 近年急速に進歩した分野とはいえ、水素の生理学的背景、水素ガスの分子生物学、
飲用水素水の生体への影響など、まだ未解明な点も多く、参加ストレス抑制に加えてさらなる 水素の分子メカニズム研究が期待される。
 本稿では「水素医学」という新しい分野のこれまでの研究の成果をまとめ、ガス分子が生態に与える影響を研究する「メディカルガス」の観点から概説したい。
水素ガス、あるいは水素水への正しい理解と水素医学の発展に貢献できれば幸いである。

ウインドウのTOPへ戻る

メディカルガスという概念

 狭心症療薬であるニトログリセリンの分子作用機序については長期にわたり未解明であったが、
1980年代になって、ガス分子である一酸化窒素(nitric oxide : NO)が血管内皮細胞由来の血管拡張因子の招待であり、それがグアニル酸シクラーゼを活性化することにより血管拡張を来すことが明らかになった。
1998年のノーベル生理学・医学賞の対象となり、植物と々ように哺乳動物においてもガス分子が血管拡張や神経伝達、
免疫反応のメディエーターとして働いているという発見は生理学や薬理学の新たな発展に大いに貢献した。
 以来、メディカルガスの研究は日進月歩で進んできており、いくつかの気体分子が生体内で恒常的に産生され、
重要な生理学的活性を持つことがわかってきた。ヘムが分解されてできる一酸化炭素や、
メチオニンの分解産物である硫化水素も生体内で作られ、強い抗酸化作用を持ち、神経伝達物質としても非常に重要であると言われている。
これら3つのガス分子は、生体内シグナルガス分子といわれ、NOはすでに心肺疾患の臨床に実際に使われている。
一酸化炭素吸入は腎移植や重症呼吸不全に、硫化水素は冠動脈バイパス術の患者や腎機能障害の患者において臨床研究がすでに始まっている。
筆者らは、これらに続く第4の分子として、水素に大変注目している(表1) ウインドウのTOPへ戻る

水素の化学

 水素は最も軽いガス分子で、常温では無色・無臭の気体である。元素として宇宙で最も豊富に存在するが、
地上では単体の水素ガスの状態ではほとんど存在しておらず、主に化合物の状態で存在する。
水素は特異的な触媒あるいは熱の存在下では非常に可燃性が強く危険である。
1937年の飛行船ヒンデンブルグ号の惨劇は水素の爆発によるものであった。これらのことから、
水素を治療として使用することは一見非現実的であるように思われるが、 空気中、純酸素の存在下でも4%以下の濃度であれば爆発することはなく、濃度を管理さえすれば安全に使用できる。
また、水素は酸素と同程度、1気圧で約0.8mM*程度水に溶ける。(*1mM=0.001mol/L)

 生理的水素の役割

 水素は、我々の体内で腸内細菌がエネルギーを得るための嫌気性発行の過程で常時作られている。
その量は個人差、日内変動があるが、約150mL~12Lと報告されており、水素の議論をする場合は、腸内細菌の関与は無視できない(図1)
図1  放屁に含まれるガス
健康成人10人の平均、705mL/24時間)

 Kaijaらは、マウスに薬剤性肝炎を誘導し、水素を産生する腸内細菌を抗菌薬で除去すると、
薬剤性肝炎が増悪することを示した。.この報告は、生体内で生理的に作られる水素が、生態の生理機能維持に実は重要な働きをしていることを示している。
さらに興味深いことに、腸内で産生されるガスは腸管運動と深く関係している。過敏性腸症候群の例で見ると、
メタンを多く産生する町内最近が優位である患者は水素を産生する腸内細菌を多く持つ患者より腸管運動能が著しく低く、
小腸通過時間も長く、便秘型になることが報告されている。同様に、
水素産生菌の異常増殖がある下痢型の敏感性腸症候群の患者に抗菌薬を投与し水素の産生を抑制すると、
腸管の異常収縮が予防され、下痢の症状が軽快することも報告されている。このように、腸内細菌が産生するガスは、
腸管の生理機能にも貢献しており、腸内細菌フローラの重要性がここでも再確認された。

ウインドウのTOPへ戻る

水素の治療効果とそのメカニズム

 水素は新しい抗酸化剤として脚光を浴び毒性が協力な活性濃度種(reeactive oxygen species : ROS)であるヒドロキシラジカルを選択的に除去すると報告された。
水素が生体でROSにより惹起される酸化ストレス反応を抑制することは確かであるけれども、
単に酸化力の強いROSと水素分子が直接反応し、ROSを除去するという理論さけでは説明できない現象も最近確認されてきている。
例えば、水素摂取により動物実験でも、ヒト臨床試験でも、抗酸化酵素であるスーパーオキシサイドジスムターゼ(SOD)が増加することが報告されている。
筆者らのグループでは水素が強い抗酸化酵素であるヘムオキシゲナーゼ(HO)を誘導することも見出している。
さらに、アポトーキスによる細胞死を抑制する抗アポトーシス分子も水素により誘導されることが分かってきた。
また、肥満細胞に存在するIgE受容体を介するI型アレルギー反応のシグナルを抑制することも報告されている。
 このように、その分子機構が徐々に明らかになりつつあり、様々なメカニズムの解明が進んでいた。

ウインドウのTOPへ戻る

水素の治療手段としての可能性

 水素は気体として吸入、あるいは水溶液として経口摂取、静脈注射、局所投与することもでき、
これまでに様々な臓器、病態でその有効性が報告されている
 (1)水素吸入
 水素は、安全な濃度で人工呼吸器回路などを通して使用することが可能である。
水素濃度を感知するモニターも安価で市販されているため、その管理も比較的安易である。
Oh-sawaらは安全な濃度の2%の水素をラットに吸入させることにより、血管閉塞による能虚血病変を軽減させることを報告した。
また、心臓の虚血に2%の水素を吸入させることでラットの虚血性心疾患が軽減したり、
ラット小腸の虚血再灌流障害への効果も報告されている。  現在のところ、筆者の知る限り水素吸入の臨床試験はまだ行われていないが、
すでにダイバー用のボンベには潜水病や窒素酔いの予防に水素が混入されている。
 (2)水素豊富水の静脈注射・局所投与
 水素を溶解した等張液は静脈注射、あるいは局所注射で使用することができる。
上海のグループは、水素を含んだ生理食塩水を腹腔内投与し、ラットの脳虚血の治療に成功している。
Oharazawaらは、ラットの眼圧を上げることにより網膜の虚血を誘導し、これに水素の点眼液を投与すると、
網膜を保護できることを見出した。これらの実験結果は、水素溶液を点滴静脈注射したり、点眼薬としている。
 (3)水素水の飲用
 水素を水溶液として経口的に与えることも広く行われている。
水素水の作成には、水素ガスをバブルして溶かす方法、電気分解による方法、またマグネシウムを使って水素を発生させる方法などが用いられている。
Kajiyaらは、炎症性陽疾患を持つマウスに水素水を飲用させたところ、陽炎の症状が著明に改善したことを報告している。
九州大学のグループは、マウスに薬剤でパーキンソン病を誘導し、水素水を飲用させることにより、その症状を軽減させることに成功している。
筆者らのグループも、ラットの腎移植モデルにおいて、毎日水素水を飲用させることにより腎臓グラフトの機能が維持され、
慢性拒絶によるグラフト不全を阻止できることを報告した
 (4)腸内細菌が産生する水素の増加
 経口血糖降下薬であるアカルボース(グルコバイ)は、小腸粘膜のα-グルコシダーゼを阻害することにおり、
二糖類の消化・九州を遅延させ食後過血糖を改善する。
しかし、同時に小腸で分解されない糖質がが大腸に運ばれて腸内細菌により分解され、水素が多く発生するため、腹部膨満などの副作用がある。実際にアカルボースを内服している患者の呼気中の水素ガスは有意に上昇していた。
 アカルボースは、以前より心血管イベント抑制作用があることが知らされていたが、
この作用はアカルボース内服によって腸内に発生した水素ガスが抗酸化作用を発揮して心血管イベントを抑制しているという仮説が提唱されており、非常に興味深い。

ウインドウのTOPへ戻る

最近の臨床試験の結果

 水素を臨床応用していくためには、系統立った臨床試験の実施が不可欠であり、
実際日本の主たる大学、医療機関ですでに開始あるいは検討されている。
最近、水素水の飲用による臨床試験の結果がいくつか報告された。水素水の飲用は、日々の飲用の代わりに容易に日常生活に取り入れることができ、生活習慣病などの慢性疾患に有効であることが期待される。
 Kajiyamaらは、2型糖尿病患者に対する無作為割付二重盲検試験の結果、
毎日900mLの水素水を2ヶ月被験者に飲用させることで、耐糖能異常の改善が認められたことを報告した。
筆者らは、軽度の肥満、脂質異常症、耐糖能異常、高血圧などを持つメタボリック症候群予備群の男女20人に、
毎日1500~2000mLの水素水を8週間飲用させ続けた結果、HDLコレステロールの増加や抗酸化酵素であるSOD増加を認めた。
さらに、韓国のグループとの共同研究において、肝臓悪性腫瘍に対して放射線治療中である患者核25人に
水素水、およびプラセボを毎日飲用させた結果、消化器症状や疲労などの副作用が有意に軽減した。
 これらの放射線障害に対する効果のメカニズムは不明であるが、血液中の酸化ストレスマーカーが有意に減少していることから、
少なくとも水素水飲用で放射線が誘導するある種の酸化ストレスが軽減したことは間違いない。
この研究成果はアメリカ航空宇宙局(NASA)が知るところとなり、宇宙空間における放射能から宇宙飛行士を保護するために水素を応用することも検討されている。
このように、水素の認識度は様々な分野でしだいに高まっており、その気体の高さが感じられる
 水素は「食品添加物」として認可されており、水素を含んだ水素水は、安全な飲料水としてすでに販売されている。
また、マグネシウムスティックおよび電気分解によって作成した水素水に関しては、
すでに医薬品に準じた急性・亜急性毒性試験、変異原性試験等が実施され、その安全性が確認報告されている。

今後の展開

 本稿に示したように、水素の効果は単に動物実験にとどまらず、人での効果も明らかになっており、科学に基づいた新たなページが始まっている。
したがって、水素を適切に臨床応用に向け展開していくためには、今後は系統立ったさらなる臨床試験、およびメカニズムの詳細な解明が不可欠である。
 水素はこれまで、ROSを除去する抗酸化作用としての効果のみ注目さてきたが、ROS除去だけでは説明できない減少も多く観察されてきている
。実際に腸管では大量の水素が産生されており、これは水素水として摂取する水素の量をは比較にならないほど多く、
濃度的に水素の効果を説明するのは非常に困難である。
 さらに、水素の抗酸化作用はビタミンCやEに比べると定性的に100分の1以下であり、
水素の効果を、狭義の抗酸化作用のみに帰することはもはや無理があると考えざるを得ない。
一方、水素をガスあるいは水溶液をして体外から投与することによって多くの疾患の予防と治療に有効であるという結果も間違いないことである。
 生体内において、水素のような超低分子化合物は容易に細胞内に拡散し、
既存の抗酸化剤よりも物理的により効率的に働く可能性もあり、その体内動態や分布についてもさらなる検討の必要があろう。
 このように、まだ水素医学領域の研究の歴史は浅く、ガス分子が生体に与える影響を研究する「メディカルガス」の観点からも、
シグナルガス分子としてその分子機構の研究を進めることが肝要であると思われる。

おわりに

 最近の水素医学分野の基礎研究および臨床研究の成果について概説した。
水素ガスの臨床応用の可能性は幅広いが、医薬品として認可されているわけではなく、
現時点では薬事法その「効能効果」を明記することはできない。
 しかしながら、今日水素科学研究の進展は目覚しく、我々臨床医、基礎医学者は、
この水素という魅力的なガス分子についてさらに理解を深め、正しく利用されていくように臨床と基礎の両面から論理的に検討し、
また予防医学の観点からも系統立った臨床試験を行っていく必要がある。
今後も医療にかかわる多くの方々が水素に関心を持ち、正しい理解と応用が進められていくことを切望する。

ウインドウのTOPへ戻る